みずいろのぶん

自分の中の情報や考えのアウトプットと文章力の向上を目的にブログを書いています。

母親との関係 〜意見の尊重について〜

昨日喉が痛くて夜漢方薬を買いに行った。その時母親も一緒に行ったのだけれどやっぱり言われた「買っても意味ないって」。

なぜ否定するのか。一度試したことがあって効かなかった、なんて理由があればまだ分かる。でも本人は試したことがないそうだ。

解釈を変えて他の薬を試した時や私の薬履歴からそういった発言になったとしよう。

だとしてもなぜ端から否定するのか。

この話の結末としては、私が自腹で薬を買った後にどうして私が今になって漢方薬を試しているのかについて理由を説明した。

つまり件の発言から大体20分ほど時間を置いた後に話をしたというわけだ。その時の反応としては薄いというか、私の意見を聞き入れたというよりもそういう考えね、へーみたいな感じたった。

正直イラっとした。

私の沸点が低いだけかもしれない。

でも薬を買うという私の決断を寸部の隙もなく否定したことに私は今でも釈然としない気持ちを抱えている。

割といつでもこうなのだ。私が自分の意見や聞いてきたことをを母親に述べると必ずと言っていいほど否定をされる。

学校で英語の単語帳はこれがいいって言ってたよなんて言うとまずその意見を木っ端微塵に否定してから、まあそれでも貴方が良いというならばなんて上から目線で言ってくる。

ただ今回のように時間をおいてゆっくりと自分の意見を伝えると否定をしなくなる。

そういう場合は大抵「私がこういうことをするのはね、こういう理由からなの」なんて言葉から始まる。

でもそれだって否定はされないけど肯定はされない。

そもそも自分の考えを親に言う必要なんてないのかもしれない。でも聞いてくるんだもの。聞いてくるから正直に答えたら否定される。

もし私がかなりの負けず嫌いでそんな意見に耳を傾けずにいれる子供だったら問題はなかったんだろう。

でも私はそうではなかった。

最初はなぜ否定されるのかも分からないし、親が言うことだから間違いはないんだろうと思っていた。でもいつしか親は間違うことがあることに気がついた。この世の中に完璧な人間なんていないことに気がつけたのは高校から大学にかけてかな。

大好きな母親にどんな小さいことであれ否定されれば萎縮してしまう。もちろんそれが社会から逸脱するような事柄だったら端から否定するのも一つの手だと思う。

でも私はどうしてそう思うの、と聞いて欲しかった。どうしてその薬がいいと思うの?どうしてその学校に行きたいの?と。

その上で否定なり何なり言って欲しかった。最初からそんなん意味ないなんて言われると意見なんて言えなくなる。中途半端なタイミングで自分の意見を言うものだから中学あたりから母親と衝突することが増えた。

今は時間をおいて後から理由を伝えることで、同じ話題について後から「私のいうことを聞かないからよ」なんて言われることは少なくなった。今でさえ大学受験のことで同じセリフを言われる。

こういった関係になってしまったのは恐らく私にも責任がある。

もっと早くに、最初に否定するんじゃなくて先に理由を聞いてよと伝えることができれば良かった。

今は母親の対策マニュアルに沿うような形での会話になってしまっていると感じることが少なくない。

その関係は端から見れば仲の良い母と娘の関係に見えるかもしれない。でも私はどこか息苦しさを感じてる。

後から理由を伝えるという方法で少しは関係は変わったと思う。だからもう一歩踏み出して次の関係性を築きたい。嫌なところも沢山あるけれど、それでもあの人は私の母親だから。

喉が痛い

お題「今日の出来事」

以下の内容については私の経験則や、裏付けのない情報をもとにただの日記として書いています。

風邪の対策として参考にはしないでください。

 

昨日の夕方頃から喉が痛くて、キンカンを食べたり葛根湯を飲んだりしてみたが今朝になっても治らなかった。

正直葛根湯を飲むときに寒気はしないから効かないんだろうなと思ったが、悪化はしていないが治りもしていない現状に少し悲しくなった。

病院に行って薬をもらうほどでもないし、風邪を引いたときは常に葛根湯で対処してきたので喉の痛みに効く漢方薬を探してみることにした。

麻黄湯や桔梗湯など喉の痛みに効く漢方薬は幾つかありそうだが、その中でも自分の状態に一番合いそうなのは銀翹散のようだ。

風邪かなと思った時に葛根湯を試すとよく効いたので、銀翹散も良く効くといいな。

とりあえず今日は一日中体を休めることに終始していたので買いに行こうと思う。

 

残念なことに体調を崩しかけの時の対処法は母と意見が合わない。

母は最初からルルなどの風邪薬を飲みなさいというが、正直効かない。むしろ飲んだ時の方が風邪が悪化する。

なので勝手に葛根湯を買ってきて飲むわけだがあまりいい顔はされなかった。予想はしていたので2回目以降は隠れて飲むようになった。

母は葛根湯が嫌いというわけではなく、むしろ風邪を引いたときには飲んでいることもある。

なぜ私が自分の判断で飲もうとしたら小言を言われるのか。

理由は明確にわからないが、2点考えられる。

1点目は常備薬として葛根湯を置いていないから。

2点目は私の風邪の引き方が変わってきていることに母が付いてきていないから。

1点目に関してはずっとそうだと思っていたが粉薬タイプの葛根湯をこの間見つけたので理由としては当てはまらないだろう。ただし私は粉薬が大の苦手なので進めなかったということも考えられる。

2点目に関してはあり得る話だと思う。私が小さい時は高熱で倒れる、鼻水がズルズルになる、咳が酷くなる、といった風邪全盛期の症状が出るまで気付かず遊ぶタイプの子供だった。

なので寒気がする、喉が痛いなどの風邪の初期症状は自分としてもあまり気にかけず、母親に報告することもあまりなかった。

なので風邪全盛期の症状が出た時には市販の風邪薬を飲むことで問題なく対処出来ていた。

しかし大学生になる頃から徐々に風邪のひき始めの症状を自覚するようになった。おそらく授業の出席やアルバイトなど、自己責任で行うことが増えてきたために風邪を引いたからといって気軽に休めなくことが要因で気づけるようになったのだと思う。

そうした時にいざ母に相談したとしても、長年の経験則から子どもの風邪の対策は決まっているので、私が葛根湯を飲むことに対してあまりいい顔はしなかったのではないだろうか。

正直私の判断を尊重してくれないことに腹が立つことがあるが、こうして理由を考えてみると少しは許せるというか理解できるような気がする。

私がブログを書く理由

私がブログを始めようと思ったのは、ブログが私にとっての資産となって将来的にはお金になるといいなという邪な思いからだった。

ただいざ始めてみるとブログを作ることも面倒だし、文章はうまく書けないしと記事をアップする前から心が折れかけてた。

そこでこのブログでは以下のことを目的として書くことにした。

  • 自分の中の情報や考えのアウトプット
  • 文章力の向上

この2点が主たる目的とすると最初に漠然と考えていたブログでお金を稼ぎたいというのは優先順位が低くなる。

ブログでお金を稼いでいる人の記事を読むと、ある程度の文章力や記事数、継続期間が無ければブログでお金を稼ぐというのは難しいようなので上記のことを意識して続けることを目標に頑張れば稼ぐということに繋がるのではないかな。

とはいうものの今でもGoogleアドセンスのやり方を調べたりはしている。

あともう一つ軽く意識しているのはブログタイトルにもあるように「水色の文」を書くこと。

私は志賀直哉の「小僧の神様」という話を国語の教科書で読んで以来ずっと好きなのだけど、その話を読んだ時のイメージが水色だった。かなり主観的なことではあるけれど、話の中の情景が頭の中に浮かんだ時に原色ではなくて薄い水色のイメージがしたことを今でも覚えている。

いつか自分が文章を書く時には読み手が優しい水色をイメージできるような文章を生み出したいなという思いも込めてブログタイトルを「みずいろのぶん」とした。

幾つか記事を書いたが今の所は一つも達成できていないどころかどれも原色なイメージを抱かせるようなものばかりでまだまだ達成できそうにない。

 今意識していることは正直終わりが見えないものではあるけれど、だからこそブログを継続するモチベーションになっているのではと思っている。

有名な言葉で「継続は力なり」というのがあるけれど、私は「継続は力なりだから頑張ってね」と他人に言えるような継続した経験を持っていない。むしろ「継続は力なりだよ」とアドバイスをもらうことばかりである。

だからこのブログを通して「継続は力なり」ということを実感出来る経験ができるといいな。継続は力なりをのパワーを味わいたい今日この頃です。

あとは一回の記事の文字数は1000文字を超えるよう意識してます。ブログの目的は上記の2点ではあるけど将来的にはお金を稼いでみたいと思うので、Googleアドセンスの審査に通る目安の1000文字を意識して書いている。

ただ残念なことにその分、膨らまし粉で膨らませすぎだようなぼやっとした文章になっている。

ブログを少し続けるだけで今言ったような自分にとっての課題が見えてくるのでそれを改善しつつ目的を達成したい。

ファイナンシャルアカデミーに参加してみたよ

ファイナンシャルアカデミーが主催する「お金の教養講座」に参加してみた。

講座は90分でコンパクトに色々な情報を教えてくれた。参加していたのは10人ほどで男女半々くらいだった。年齢層も20代から40代くらいの人で、お金の勉強を始めるきっかけとして参加している人が多かったように思う。

私がこの講座に参加しようと思ったきっかけは自分のマネーリテラシーが低いと感じたからだ。ニュースで度々見かける老後破産の話題などを見て、どのようにすればと検索をかけた結果お金に関する知識がかなり不足していることに気がついた。

貯金と投資どちらの方がいいのか、そもそも投資とは何なのか、金利はどういう意味なのかなど、言葉は知っているものの意味を知らない言葉がほとんどだった。

そこで「コミックでわかる 20代から1500万円!積立投資でお金を増やす」を始めとした投資の本や、お金に関するブログなどから情報を集め、評判の良さそうなファイナンシャルアカデミーに参加を決めた。

当日の内容としては、お金の知識の重要性や資産形成のための方法や始め方について、途中ゲームを交えながらの講義だった。

講師の方は元塾講師ということもあってとても話し上手で、私と同様将来に不安を感じてお金の勉強を始めたとのことだった。

元から金融関係の仕事をしていた方ではなく、私と同じスタートラインから勉強を始め今では自分自信も株などを用いて資産形成をしているそうだ。その分、素人でもここまでのレベルになれるのか、ということが分かったのでより一層講座に身が入った。

参加する前はお金の教養講座なんて胡散臭い名前だなと感じていたが、実際受講してみるとかなり真剣にお金について学ぼう・教えようという人ばかりだった。

無料で参加できる分、クオリティに不安があったあが、むしろお金を取ってもいいのではと思えるくらい充実した90分間だった。

講座後にはお金に関する書籍を一冊もらえた上、幸運なことに講座途中のゲームにおいて一位を獲得できたのでプレゼントまで頂いてしまった。

お金について学ぶというのはどこか汚いイメージがあったりと敬遠されがちだが、前向きにお金について学ぶことができよかった。

大学で経済学の授業を取ったことはあったが、ここまで実用的な内容ではなかったので知識のある方も受けてみる価値がある。また、金融商品の販売やしつこい勧誘なども一切なく安心して受講できた。

次回は不動産投資と株式についての講座を受けてみようと思う。

そして今回で学んだ知識をもとに、今の自分のお財布事情を見直すことから始めたい。

 

長期的な目標を立ててそれに向かって行動したい

今週のお題「新しく始めたいこと」

 

プログラミングをしたい、日記を継続したい、早寝早起きをしたい等やりたいこと、なりたい自分については幾つか思い浮かぶ。でもやっぱり一番は「長期的な目標を立ててそれに向かって行動したい」である。

夏休みの目標などの数日から数週間程度の目標であれば立てたことはある。正直に言うと達成率は高くない。行き当たりばったりに毎日を楽しむということも勿論大好きなのだけど、最近惰性で行動している気がする。そんなに頻繁に自分を変えるような何かは起きないし、何なら自分を変えるためには自分が行動しないといけないということにようやく気がついた。

自分を変えるためにブログも初めてみたり、プログラミングに挑戦して挫折してみたり、一週間一チャレンジなんて自分の中で決めてやってみたこともある。でもどれも短期的に自分を少し変えてくれることはあってもどこかしっくりこない。

それが自分の人生の目標がないからだと気がついたのは就職活動がきっかけだった。

就職活動でどんな会社を選ぶのか、また就職しないのかなどはいろんな基準に基づいてみんなやっていると思う。私は最初憧れの会社ややりたいと思う会社にエントリーしていった。正直学歴でいえば知名度の低い、ほぼ希望者は全員入れるような大学なので学歴という壁にぶち当たって苦労した。

そんな中でも幾つかの企業から内定をいただくことが出来た7月、私はある疑問を感じるようになった。

 

「社会人になったら長期で遊べなくなるから今のうちに遊んどくといいよ」

 

私が数社で社員訪問を10人程度して、ほぼ全員からこのようなアドバイスを頂いた。最初の頃はなるほど卒業旅行は絶対に海外に行こうなんてのんきに考えていたけれど、あまりにも社会人みんなが口を揃えて言うものだから疑問を覚えるようになった。

海外では1か月程度の休みは取れる企業があると聞く。ではどうして日本の企業は口を揃えてこのようなアドバイスを就活生にするのだろうか。

毎日会社に行って、必死に仕事をしてお金を稼いで、でも長期期間遊ぶことはできない。なんで?そんなことばかり考えていた。

その時私は自分が実際に社会人になって働くということに関してイメージできていないことに気がついた。最初の頃は有給も思い通りに取れないかもしれない、リーマンショックみたいなことが起これば仕事があるだけで御の字だ、なんて思いながら働くのかもしれない。それでも良いと思えるのだろうか。

結局行くことを決めた会社は、今の私が思いつく限りの質問をぶつけて答えてもらい、働く可能性のある場所を見せてもらい実際に話を聞き納得した上で決めた。

でもやっぱり頭に浮かぶのは、もっと早くに自分の将来について真剣に考える時間があれば良かったんじゃないだろうかということだ。

毎日降ってくる課題をこなすようかの毎日で、その中で友達と遊んで時には旅行に行くような大学生活だった。特待生として大学に通っていたので、その分真剣に大学のカリキュラムには取り組んだ。自分のしてきたことが間違いだとは思はない。でも一年のうちの1割でも将来について具体的に考えて、目標立てて行動する必要があったと思う。

現状だと社会人になった自分をイメージするところからかな。

もちろん人生何が起こるかは全く分からない。でも目標を持って行動するのとそうでないのでは大きな違いだと思う。

少なくとも行き当たりばったりの毎日ではダメだと感じている今だからこそ、「長期的な目標を立ててそれに向かって行動したい」と思う。

オーバースペック

お題「ケータイと私」

 

私は今iPhone6Plusを使っているけど、オーバースペックな気がして仕方がない。

以前使っていたiPhone5が突然壊れてしまい修理より購入した方がお得だっためにあまり熟考せずに購入した。結果的にはiphone6Plusはサイズといいスペックといい申し分ないスマホだった。

ただ残念なのは月々の料金が私のお財布にとってかなりきついということだ。2年ほど月々本体代に3980円支払い、割引が入って約2700円くらいになったとはいえ正直高い。

先ほど言った通りiphone自体に不満はないのだけれど、いかんせん2年経つ今でも使いこなせていない。私のiPhone活用法といえばネットとSNSと幾つかのアプリだけだ。正直iphoneのスペックでこの使い方だと勿体無い。操作性も抜群に良いのだけれど本体代10万円は高いと思う今日この頃である。あと7GBじゃ足りない時があったりして結構契約内容としては私に合っていない。

契約当初はアルバイトもそれなりにしていたので、月々1万円弱の出費でも問題なく払えていたのだけれど就職活動などが重なって払うのがきつい時期が続いてしまった。しかも何より就職活動中はかなり電話をかける。会社からの電話を逃してしまった時のショックは計り知れない。

そんなこんなで今は格安SIMを狙っている。今使っているiphoneで使えればいいのだけれど、私の端末は残念ながらSIMフリー対応ではない。格安SIMを使おうと思ったら端末の購入からスタートしないといけないのでそこはかなりショックである。気に入ってるんだけどなiphone6plus...

格安SIMのデメリットとして店舗がない、または少ないということを耳にすることがあるが、正直そこまでのデメリットではないと思う。今の時分携帯ショップであっても短期アルバイトの人がスタッフとして入っていたりするので、求めるだけの情報を有していない可能性がある。そのため契約する際は事前にネットでリサーチしたり店舗をはしごする必要が出てくる。

私の友人がある大手キャリアの店舗で見積もりをもらったところ、彼の計算よりも月2000円程度高いと言われていた。後日店舗を変えたところ自分の見積もりよりも少し安い価格で契約できるとのことでその場で契約していた。

もちろんこのようなケースは稀かもしれない。しかし月々5000円だとしても一年で6万円の商品を分割で買うようなものなのだから、店舗に任せきりにするよりも自分でリサーチして契約するべきだろう。

そういった点を考えると格安simの店舗がないというのもそこまでのデメリットではないだろう。

本と歩む人生

小さい頃から父の影響で本を良く読んでいた。小学生の頃のお気に入りは江戸川乱歩で、今でも内容を覚えている。特に「芋虫」を読んだ時の衝撃は忘れられない。

初めて読んでから10年は経つけれど、今でもその内容について考えることがある。もし自分が妻の立場だったらどうしよう、もし自分が夫の立場だったら最後のセリフが言えるのだろうか。そもそも生きることを選択できるのだろうか、なんて今でも答えは出ていない。文章量はそこまで多くないのに考えさせられることの多い本である。

 

記憶に残っているのは芋虫だけど、好きな話は「心理試験」だ。確か事件の犯人に対して心理事件を実施し、その結果をもとに明智小五郎が犯人に迫るといった内容である。内容を詳細に覚えているわけではないし、読みかえした記憶もあまりないが、犯人の賢さとそれを上回る明智小五郎の推理がとても面白かったと今でも覚えている。

 

そんな感じで私の読書人生は江戸川乱歩からスタートして、長い間小説ばかり読んでいた。自己啓発書であったり、ノンフィクションの本なんかはなんだか苦手意識があって読めなかった。そのうち本を読むことから遠ざかる時期も多くあって、高校の時分は三津田信三という作家の本以外ほとんど読んでいなかった。この作家さんの本を読んだのは「厭魅の如き憑くもの」をいわゆるジャケット買いをしたからだった。ホラーが好きで、表紙がかなり怖かったので手にとって読んでみたらホラーだけでなくミステリーを融合した新感覚の小説だった。私の好きな刀城言耶シリーズはかなり分厚くて読み応えもあるものばかりだった。

 

この作家さんの本を読んで初めて、同じ作家さんの本の中でも好きなものと苦手なものがあるんだと気がついた。多分ある程度嗜好が決まってきたんだと思う。三津田信三以外の本はほとんど読んでいなかったので、高校の頃は一ヶ月のうちに一冊も本を読まないことはざらにあって、今思い返すともう少し好き嫌いせずに読書の幅を広げてみてもいいんではなんてことも思う。

 

そんな私も20歳を超える頃からようやくノンフィクションや実用書を読めるようになってきた。多分好みが多様化してきたのかな。逆に小説を読む機会は少なくなってきてほぼ読まない。久々に江戸川乱歩の「孤島の鬼」を購入して読む順番を待っているところである。こうやって本の好みが変わっていくことを受け止めて楽しめるようになったことが結構嬉しく思し、今後自分がどんな本と歩んでいくのかとても楽しみだ。