対等な人間であるということ
以前詳しく書いたが、完璧な人間なんていないことに気がついてからは相手を許せるようになった。
そう気づいてからは色々なことに目を向けるようになった。というよりも余裕が出てきたのかもしれない。
例えば、私以外の人は私と対等な人間であるということ。もちろん先輩後輩や教師と生徒、親子など上下で線引きされる関係性は沢山ある。その上で私以外の人と私は対等な関係であると言いたい。
というよりも、同じ人間なんだよと言いたいのかもしれない。
このことを強く意識するのは年下の人に謝るときだ。私は中学・高校とかなり上下関係の厳しい部活に所属していた。そのため怒られてもきたし、後輩を怒ってきた。
今であれば注意する、指導することだけできたかもしれない。でも当時は怒るときに感情が爆発してしまうことがよくあった。
今でもそんな時がある。とにかく言いすぎてしまう。相手に伝わっているかどうかよりも、自分が気の済むまで言いたいことが言えるかどうかという内容になっている。
自分がやられたら嫌なのに、自分がやっていることに気づかなかったのは何故なのか今でもよく考える。
そのことについてやっと反省できるようになった。でも部活のときはそれが間違っているとも気がつかなかったし、間違ったことをしても謝ることはしなかった。
その理由は私がそうされてきたというのもあるし、それ以上に謝る必要なんてないと考えていた部分があったように思う。
後輩だから先輩の言うことは何でも聞かないといけない。だから私が間違っていようと些細なことだと捉えていた。
でも大学に入ってようやく謝るか否かの基準に相手の立場や年齢なんて関係ないことに気がついた。
完璧な人間なんていないんだから自分だって間違えるし、相手だって間違える。そう思ったときに相手も同じ人間なんだって改めて気がついた。
当たり前なことだけど私にとっては大きな気付きだった。
もちろんそれまで相手を人間以外に捉えたことはない。でも意識して同じ人間だと思ったこともなかった。
意識することで自分が間違ったことをしたときに謝罪するハードルは随分下がった。ミスを認めるのは恥ずかしくて今でも嫌だけど、謝ることができないのはもっと恥ずかしい。
母に対してが主ではあるけど、最近対等な人間として扱って欲しいという気持ちが自分の中で高まっている。
だから誰よりもまず自分が相手を対等な人間として認めて行動する。
今は意識してしか出来ないけれど、習慣にして自分の性格にまでしたい。