みずいろのぶん

自分の中の情報や考えのアウトプットと文章力の向上を目的にブログを書いています。

パートナーとの関係性

私の友人でとても良い関係性を築いているカップルがいる。

べったり甘えた依存ではなく、側から見るとむしろドライかなと思えるほどの2人である。

ただふとした時の2人の視線がとても暖かい。仕草も柔らかい。お互いを思い合っているんだろうなと思えるものである。

私は彼氏ができると舞い上がってしまって、相手のことが頭から離れなくなってしまう。それが自分ながらしんどくて別れたこともあるくらいだ。

だから友人たちを見ているととてもほっこりするしぶっちゃけ羨ましい。もし次誰かと付き合うならそんな優しい関係を築きたいという、ある意味お手本にしたい2人である。

 

つい一年ほど前までは彼氏に求めるものは顔であったり学歴や職だった。

それがいつの間にか彼氏が欲しいというよりもパートナーが欲しくなった。

私にとっては恋い焦がれる相手というよりも、自分自身で接することのできる相手に恋人になって欲しい。

おそらく以前付き合った彼氏が自分の好みすぎて常にぶりっ子しているような状態に自分が耐えられなくなったからだ。

ぶりっ子というか、相手のことが好きすぎてつい本音を言うよりも彼氏が好きな自分を模索して演じている感覚だった。

そのことがしんどくて堪らなくて、何度も自分らしく相手に向き合おうと試みた。

でもいざ彼の前に立つと舞い上がってしまって上手くいかなかった。そしてデートを自分の予定の中心に据えるようになってしまっていた。

最終的にはそのしんどさの原因も分からなくなってしまって相手に当たってしまっていた。

結局彼にフラストレーションをぶつけるような形で別れてしまった。他にも別れるに至った原因は他にもあるが、別れ際の自分の対応は悔やんでも悔やみきれない。

たくさん楽しい思い出を彼にはもらったし、それ以上に人と付き合うということについてよく考えるきっかけをもらった。

もう一度付き合いたいとは思わないけれど、別れ方だけはやり直したいと思いつつ彼のことを思い出すこともなくなっていった。

それから自分が欲しいと言っていた彼氏とはどういうものなのか、よく考える。

一緒にいて楽しい相手なら友達がいる。顔が好みすぎるのも緊張しすぎるしテレビの向こうにはイケメンがたくさんいる。何でも話せる相手なら親友がいる。

じゃあ一体自分が欲しい彼氏とは何なのか。

まだ答えは出ていないけれど、自分の人生を生きるに当たって支え合える人が欲しい。

そんな風に考えるようになってから、彼氏が欲しいという言葉に違和感を感じるようになってきた。

だから今はパートナーが欲しいと思うし、築くなら友人たちのような暖かい関係を築きたい。

そう思える今日この頃である。