上司と飲みに行くのが嫌いじゃない件
表題の通りだ。
私は上司と飲みに行くのが嫌いではない。
先輩と飲みに行くのも嫌いではない。
むしろ好きかもしれない。
私と上司は親子ほど年が離れている。
だから共通の話なんてあんまり存在しない。
今日の飲み会なんて9割ほど上司の言っていることが分からなかった。
それでも楽しかった。
なんで楽しいのか。
知らない世界を垣間見ることができるからだ。
元来知らない本を読んでいる時に分からない言葉が出てくるとすぐに調べる性質だった。
それが高じてか、仕事をする上で分からないことがあれば調べたりしながらもすぐに聞く。
その言葉を理解するまでしつこく質問を重ねるようにしている。
それはただ私が真面目というわけではなく、ただ単に知識欲を満たしたいだけだと感じることも多々有る。
そういったわけで私は知らないことを知ることが好きだ。
上司の話が9割分からなかろうが、むしろその方が楽しい。
上司が話し上手だということも大きな理由ではあるが。
だからと言って、常に楽しんできたわけではない。
もちろん、上司との飲み会が吐きたいほど嫌な時もあった。
嫌すぎて泣いたこともあった。
理由としては、飲み会で上司にかなりきついことを言われたことがきっかけだった。
言われたことに対してなにくそっと思いはしたが、やはり心は傷ついていた。
毎日上司に言われたことを思い出しては腹を立てていたけれど、今思うと腹を立てることで傷ついた自分の心を慰めていたのかもしれない。
私はこんなことで傷つかない、むしろ反骨精神を育むいい機会にすらなったと、、。
でも近しい先輩に相談した時に自分が傷ついていたことを知った。
その上で上司がどういう経緯・思い出発言に至ったかについて考えることができるようになった。
もちろん自分の出した答えが正解とは限らない。
今でも上司の発言は許すことはできない。
上司の発言の意図について考えを巡らすことで、なんとなく自分の中でケリがついた。
上司を許せない気持ちは変わらない。でもだからなんだというのか。
自分は自分のできることをやり遂げよう。
そう考えると上司のことなんて気にならなくなった。
そうこうしている間に、上司は部下とコミュニケーションをとる機会がかなり少ないことに気がついた。
重要なポジションについていることもあってか、部下に対しては常日頃からかなり厳しい態度の方だ。
そんな方が飲み会でコミュニケーションを取ろうとして失敗したんだろうなと今では思えるようになった。
もちろんだからと言って許しはしないが。
上司の言動に思いを巡らすようになってから、なんとなく彼の地雷が見えてきた。
地雷さえ踏まないように会話をすれば案外面白い人なのかもしれない。
一緒に飲んでいて困る発言をすることもあるが前ほど気にはならないし、一緒に飲んで楽しいと思えるようになった。
飲ミュニケーションというわけではないが、関わることの少ない上司と会話を交わし仲を深めるためには飲み会はいいきっかけであるかもしれない。
地雷を踏まないよう今後も楽しみたい。