みずいろのぶん

自分の中の情報や考えのアウトプットと文章力の向上を目的にブログを書いています。

人生のメンターが欲しいという話

社会人になるのを目前にして色々と本を読んでいる。その中で本田健の「20代にしておきたい17のこと」という本がある。

なんで17みたいな中途半端な数字やねんというツッコミはおいといて、20代のうちに人生のメンターを探せという文言があった。

ぶっちゃけ内容としては他の本にも書いてあることだけど大事なことを書いている。この人の本で良かったところは、メンターは年々変えていって良いし、それは自然なことである、ということだ。読む前はメンターは良質な人を1人選んで人生の師とすべきだと思い込んでいた。

読了後は確かに色々と人は成長するものであるから変えるのもあって良いんだと思えた。思い込みって怖いな。1人しか選んではいけないと言われたらもっと良いのをと思ってしまうけど、年代によって変えても良いなら気負わずに見つけることが出来る。

この本を読んでからより一層自分が目標とすべきメンターが欲しいなと思ったけど中々難航した。正直な話尊敬する人は?と聞かれてもパッと出てこないもんだから悩む悩む。

尊敬する人でいうと大学の恩師が思い浮かぶけど、メンターになって欲しい人ではない。両親は好きだけどやっぱりメンターとは違う。

 

そんな感じで去年の9月くらいからずーっとメンターが欲しいと悩み続けてきたけれど、実は私のメンターはすぐ側にいた。

その人とは友人の紹介で知り合った。ちょうど進路のことで深く悩んでいた時期で、相談相手が欲しかった私にとっては最高の人だった。知り合ってから時々連絡を取っては刺激を受けるばかり。私の知らないこと、というよりも私が今まで気にかけてこなかったようなことをしっかりと知っている人だった。

その人が教えてくれる内容が凄く自分にとって凄くタメになって視野が広がった。その人を紹介してもらったとき、友人にかなりディープな自分の考えを曝け出したおかげで出会えたかと思うと勇気を出して本当良かった。

それでも3月に入るまでその人が私にとってのメンターに当たるだなんて思いもしなかった。私はメンターをどこか神格化していたのかもしれない。でも自分にとってのメンターとは何かを考えているうちにふと、その人が私のメンターだと気がついた。きっかけは多分私の知りたい情報を教えてくれた時だ。

知りたい情報と言っても、今の私にはそれすら具体的にはなっていなくて思考のかけらのような状態だった。そんなかけらを掬い上げたかのような内容を私に教えてくれるのを見て、不思議とこの人が今の自分の求めるメンターだと気がついた。

 

自分の考えを相手に伝えることは難しくて恥ずかしい。でもそこを乗り越えられたから私は人生のメンターと出会うことができた。そして自分が求めているものを徐々に具体化したことで既に私の周りの人と化していたその人がメンターだと気づくことができた。

これから先、そういったことは難しくなるかもしれない。でもだからこそ自分の求めるものに対して妥協せずにいたい。